そんな60代になりたい
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最近妻と将来のことを話すことが多くなった。「健康とサムマネーがあれば、きっと・・・できるわよ」と妻はよくいってくれる。

その健康について、妻の観察するところでは60代も半ばになると、体力や健康状態の個人差がすごく大きくなるんだという。日々の健康管理をきちっとしている人は、まだまだバリバリで動けるし、逆に様々な体調の不良を訴える人もいると。

妻の知りあいで、60代の働く主婦。週末にママチャリで横浜から江東区の東京スカイツリーを見に行ったんだと。それだけでもすごいのに、帰ってきたらお財布を落としたことに気づいて、もう一度ママチャリまで東京スカイツリーにいってきたと。

すごすぎる。元気ありすぎる。

そんな60代にぼくもなりたい。

久しぶりだったローラ
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『言っとくけど、ユタ州にはチンポコ(を連想させる風景)が山ほどあるのよ(There are so many penises in Utah... I have to tell ya!)』とローラは言った。やや唐突に。そして携帯電話を取り出し、もっといいのがあるんだけどなぁと言いながら、ほらっと見せてくれた。

ほんとうだ。

ユタ州南東部に位置するアーチーズ国立公園内にある、ユタ大学が所有する野営地でローラは去年の大半を過ごした。最寄りの町モアブ(Moab)まで車で一時間という人里離れた場所で、野鳥研究のアシスタントをしながら、仕事の合間に州内の様々な大自然の見どころを訪ねて廻ったという。

ちなみに、フェニックスからモアブまでは車で7時間ほどかな、とローラは教えてくれた。ローリンが地図を持ってきてくれたので一緒に見てみると、確かにユタ州南部には、いくつもの国立国定公園が南西から北東に数珠つなぎのように並んでいる。ザイオン国立公園など、有名なものは聞いたことがあったが、こんなにたくさんあるとは知らなかった。

ローラと前回会ってから、もう4−5年がたつ。当時、州内の不法移民収容センターに収監されていたギニア人のボーイフレンドを訪ねるというので、アフリカンドラムコミュニティーのお母さんとお父さん的存在であるローリン・バーントと何度か同行して以来だ。収監中に結婚し、米国に留まることができるよう嘆願をつづけたが、希望はかなわず本国に送還されてしまった。その後ローラもアリゾナを離れてカリフォルニアやユタを転々としていたらしい。今も住まいは定まらず、初めて知り合った時から変わらないスバルとともに放浪を続けている。またアリゾナに帰ってきたいなぁ、とローラは言った。今夜はローリン・バーント宅に一泊だけして、明日はフラッグスタッフに向かうという。

(つづく)

プロボウル2015とソニア
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長いことサボってました。

今年最初の話題はプロフットボール。

アメフトの王者を決めるスーパーボウル。今年はフェニックスで開催される。ということくらいは、米国プロスポーツ全般に関心の薄い僕でもさすがに知っていた。しばらく前にフェニックスの西の郊外に巨大なスタジアムができたことも知っている。遠くからでも嫌でも目に入るし。スタジアムができた当初にスーパーボウルが開かれたことをうすら覚えていたので調べてみたら、2008年とあった。

昨日(土曜の昼下がり-1/24/15)、ダウンタウンに用事があって出かけたら、いまだかつて見た事がないほどの人と車で溢れかえっている。びっくりした。いたる所がホコ天になっていたり、普段は有料駐車場になっている空き地には巨大なコンサート設備が突貫工事で設営されていた。普段は車で10分もあれば到着する目的地までしっかり40分以上もかかった。

実は、今日(日曜)はプロボウルと呼ばれるアメフトのオールスター戦が開かれるとのことで、すでに全国各地からファンやマスコミ関係者たちがフェニックスを訪れているのだという。本命のスーパーボウルは翌日曜とのことで、この一週間、このお祭り状態が続くらしい。

年明けに、アフリカンドラム仲間のソニアが、「今度アメフトのイベントで太鼓叩くのよ」と言っていたが、それはプロボウルのハーフタイムショーであることが今日になってようやくわかった。

近所に住むアフリカンドラムコミュニティーの友人が、我が家まで足を運んで、「キックオフは夕方6時だから、ハーフタイムショーは7時ごろよ。よかったら家にきて一緒に観ない?」と誘ってくれたのでお呼ばれすることにした。

傷で化膿した金玉をなめないようにコーンが装着され、なさけない状態になっている友人の愛犬ギズモともども、生中継で観戦した。

写真を撮ろうと思って構えていたので、そちらの方で頭がいっぱいで、いったいだれによるどんなショーだったのかよくわからないままに、仲間が画面にでてくるたびにシャッターを切っているうちに、あっという間ハーフタイムショーは終わってしまった。放映時間は5分もあっただろうか。

仲間たちが主役のショーでないことはさすがにわかっていたが、それでも、バンドの一員として、時々アップで映る時もあったりして、よかったのでは。

いっしょに観ていた友人のご主人の話では(聞き間違いでなければ)、スーパーボウルはおよそ1億3千万人。プロボウルも1億人からの人たちがテレビで観戦するという。普段は「超」がつくくらい地味なアフリカンドラムコミュニティーとしては、およそ縁のないような話のスケールだ。

端役とはいえ、コミュニティーの仲間がこのような晴れ舞台をふむことができたことを喜びたい。

(続く)

北の国から来たアフリカンドラマー
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アフリカンドラム仲間のレイモンドが、遠路はるばるボーズマン(モンタナ州)からフェニックスを訪ねてきてくれた。高校生になる娘さんの行事参加のため、家族全員でドライブしながら2泊3日かけて来たという。フェニックスのアフリカンドラムコミュニティーのお父さんとお母さん的存在のバーントとローリンに連絡をしてくれたので、一緒にごはんを食べにいこうということになった。

レイモンドと初めて会ったのは、2011年秋から翌春にかけてサンディエゴで開かれたママディ・ケイタ(Mamady Keita)の4回連続ワークショップ。「免許皆伝(Certified teacher)」を目指すドラマーを対象とし、毎回参加者わずか4−5名の小さなワークショップだったので、レジェンドリー・ドラマー、ママディから、毎回ほぼマンツーマン状態で指導を受けながら朝から晩までともに過ごしたドラム仲間。様々な曲のドラムフレーズをiPhoneの暗記帳アプリに入力して持ち歩いていた。大きながたいで、暗記帳アプリの小さな画面を見入っているレイモンドをみながら、彼の勤勉さにすごいなぁと思った。

今住んでいる町にはアフリカンドラムのコミュニティーがなくて、さみしいよ。最近、TAIKO(和太鼓)のクラス見つけて、ちょっと始めてみたんだ。と、レイモンド。

アリゾナに住む何百万人もの人たちが頼る水の道
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フェニックスとラスベガス間を4人乗りプロペラ飛行機で往復する機会があった。片道およそ2時間のフライトだ。

フェニックスとロサンゼルスを結ぶ国道10号から少し北に上がったところに、一本の大きな水路がジグザグと東西に走っているのが見えた。あれは何ですか、とパイロットのロブさんに訊くと、セントラル・アリゾナ・プロジェクトだよという。カリフォルニアとの州境を流れるコロラド川から水をひいて、フェニックスのみならず、はるかツーソンにまで供給しているという。まさにアリゾナの命綱だ。

フェニックスの水道水は、その多くをコロラド川に頼っているとは聞いていたが、実際どのように水をひっぱってきているのか初めて知った。

セントラル・アリゾナ・プロジェクト

繁栄の残像〜ウィンスロー、アリゾナ
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途中予想外の交通渋滞につかまって、へとへとになって辿り着いた金曜の夜のウィンスローは、し〜んと静まり返っていた。時折通る貨物列車の音だけが遠くでカタカタと響いている。

宿泊先のラ・ポサダ・ホテル(La Posada Hotel)はどこだ、どこだ。1930年にオープンした歴史あるステーションホテルだという。

闇にまぎれて真っ黒な影のような大きな建物が見えてきた。チェックインをしてから部屋に着くまでが長かった。角々に古めかしい不思議な空間がひろがり、壁には不気味な画が掛かっている。大陸横断鉄道全盛の頃には、様々な旅人たちでさぞや賑わっていたことだろう。

ここは、幽霊屋敷かぁ〜?栄華を極めた時代の亡霊にとりつかれたような宿。窓から外を見る。

ところが意外にぐっすり安眠できた。ホテルのダークさと比べて自分の心のなかの闇がとるに足らないほど小さく感じられるせいなのか。

翌朝は、観光スポットになっている、イーグルスの名曲「Take It Easy」をモチーフにした町一番の交差点へ行ってみた。ウィンスローはルート66沿いの町としても知られる。

「ルート66」には多くの年輩の人たちにとって特別な想いがあるらしい。全長は3,755km。シカゴとロサンゼルスを結び、同国南西部の発展を促した重要な国道であったが、1985年に州間高速道路の発達によりその役目を終え廃線となった。20世紀中盤の映画や音楽などポップ・カルチャーの中にも多く登場し、多くの人々に愛された道であったことがうかがえる、とウィキペディアにあった。

小さな町を散策してみる。廃墟になった建物や老人が目につく。

鉄道旅客輸送の衰退とともに、時代の流れに取り残されていった町なのか、ウィンスロー。

思いもかけないような幸せな風景に遭遇して興奮する〜Lees Ferry
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「(グランドキャニオン)ノースリムに行くんだったら、道中、コロラド川のほとりまで車で降りていけるスポットがあるから、是非行ってみるといいですよ」とホピのギフトショップのご主人が勧めてくれた。地図にマーカーで印をつけてくれる。そこには「Lees Ferry」と書かれていた。初めて聞く地名だった。グランドキャニオンのラフティングツアーは、ここを起点とするらしい。

日曜の午後おそく、ノースリムからフェニックスに帰る道すがら、ご主人のアドバイスにしたがって、立ち寄ってみることにした。89A号線から分かれる道はなんなく見つかった。数分行くと、なんと入場料を払えとなっている。まぁいいか。

そこからおよそ15分、あいかわらず乾燥しきった風景のなか、舗装し直したばかりのスムーズな道路を緩やかに下って行く。

どんづまりっぽい駐車場に車を止めて、川に向かって1−2分ほども歩くと、突然目の前に想像していなかったような風景が出現した。

ほのかに赤みがかった白い砂浜にさざ波がやさしくうちつけている。家族連れが楽しそうに水辺で遊んでいる。釣りをしている人もいたので、何が釣れるんですかと聞くと、レインボートラウトだと教えてくれる。

川遊びをしている人たちの大方は、ネイティブアメリカン。その中に、ぼくのように、迷い込んだ観光客がぽつぽつと混じっている。

ぼくも靴を脱いで川の水を感じてみる。川の流れも勢いがよいせいか、一瞬ひやっとするほど冷たかった。汗ばむほど気温が高く、砂浜もぽかぽかなので気持ちよい。

フェニックスまで、まだ4−5時間のドライブが待っているとわかっていても、あまりにも幸せな光景で、なかなか立ち去りがたい。

両岸に迫る断崖絶壁の長い影が、一足早い午後の終わりを告げている。人影もだんだん少なくなり、気づけば、キャンプをする家族と数名だけになっている。人気の少なくなった風景を撮影して、ぼくも家路についた。

フラッグスタッフで小休止を取り、フェニックスに着いたのは真夜中だった。

窓の向こうは断崖絶壁だった〜グランドキャニオン、ノースリムロッジ
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先日のドライブ旅行の印象、気分が盛り上がった勢いで一気に、ちゃっちゃとアップしよう。

グランドキャニオンをはさんで、南側はサウスリム、北側はノースリムと呼ばれる。アクセスがよいのはサウスリム。でも、時間があればお勧めなのは、ノースリムだ。フェニックス方面からだと片道プラス2時間のドライブになる。

今回の訪問はぼくにとっては2度目になる。初めて訪れたのは、2002年10月中旬。フェニックスでできた新しい友だちチャックと訪れた。大人2−3名が車内でゆっくり眠れるような大きなバンに乗ってキャンプ旅行。夕ごはんを食べるために立ち寄った公営ノースリムロッジは冬の休業直前の週末ということで、「あなたたちが今シーズン最後のお客よ」と、サーブしてくれた女性がうきうきしていたこと。出されたパスタがとてつもなくまずかったことを思い出す。まめなチャックは、ぼくが朝なかなか起きなくても文句も言わず、朝日の眺望スポットまでぼくを連れていってくれたり、おいしいコーヒーを炒れてもらったり、甘えっぱなしだったな。

ノースリム側国立公園内唯一の宿泊施設になるノースリムロッジは満員御礼でなかなか予約が取れないと聞いていたので、オンラインで空室を見つけた瞬間に反射的に予約をした。(キャンセル料がかからないぎりぎりのタイミングでキャンセルがそれなりに出るようで、直前になるとけっこう予約が取れることを後日知った。)

さて、ノースリムお勧めの第一点は、ロッジからお気楽にグランドキャニオンの眺望が楽しめること。メインのロビーから階段を降りると、壁一面が窓になり、ゆったりくつろぐのに最高なソファーがおいてある。そこから見える風景は、まさにグランドキャニオン!サウスリムには複数の公営ロッジがあるが、その多くは森の中だったり、断崖絶壁からちょっと離れているものが多い。朝日や夕日を楽しむために、観光客は、いくつかの眺望スポットまで車で出かけなくてはならない。その点、ノースリムロッジは、すべてが宿と、宿からの徒歩圏内で眺望やミニハイキングを楽しむことができる。ものぐさにはぴったりだ。

お勧めの第二点は、ロッジに向かう公園内の道中の景色が美しいこと。サウスリムより少しだけ標高が高く、森の木々がいっそう豊かで。バッファローの群れが日がな一日過ごすようななだらかな草原も美しい。

お勧めの第三点。国立公園に向かう道中の景色も楽しめる。フラッグスタッフとペイジを結び南北に走る幹線89号線から別れ、89A号線に入りコロラド川を渡り、更に小一時間行くと、そこからは一気に上り坂。乾燥した大地から、みるみる森林風景へと変わっていく。上り始めたところに、眺望スポットがあり。こんな風景です。

思いがけない出会い〜ホピ、オライビ村にて
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気がつけばもう10月。8月25日の投稿を最後にブログをすっかりサボってしまった。その間を振り返って、書き留めておきたいことをぽつぽつとアップしようかなと思う。

9月第一月曜はレイバーデイの祝日。アメリカでは貴重な3連休になる。毎年家でだらだらと過ごすことが多いけど、アリゾナ北部を2泊3日でドライブ旅行に行こうと思い立った。金曜の午後遅くに家を出発し、その晩はウインスロー(Winslow)泊。土曜はホピネーションのセカンドメサを経由して、グランドキャニオン・ノースリムまで。日曜の晩にフェニックスに戻り、月曜は骨休めをしようと予定を立てた。州内とはいえ、全行程1300キロ。

旅に出ると思いがけない出会いがある。そしてそれこそが旅をする醍醐味で最大の喜びだ。

幸運にも、今回の旅行は、「ホピの村々で祭りの儀式が開かれる特別な週末」だと現地に到着して知った。村々で歌と踊りを交えた儀式が行われ、外に出て住んでいる親族が戻ってきて賑わっている。日本のお正月かお盆のような雰囲気だろうか。

ホピ族の祖先が初めて地下から地上に出てきたという神話の地として知られるオライビ村に立ち寄った。遅めの昼ごはん時で儀式は一時お休み中。あてどなく小さな村をひとり歩いていたら、ニューメキシコ州アルバカーキに住み、このお祭りで一時帰省しているという女性が声をかけてくれた。儀式が再開するまでしばらく時間があるし、外は暑いから、家に来てごはんでも食べなさいよと誘って頂いた。

村にひとつだけあるギフトショップを営むご家族で、最近増築したというお宅は村ではかなり広いほうだと思われた。近隣の畑で収穫されたコーンと羊の肉を使ったスープをごちそうになる。ネイティブアメリカン系とはいえ御家族と一切関係ないおじさんもいっしょで、外からの訪問者への快く門戸を開いてくれる、開放的なお祭り気分がじわーっとぼくにも伝わってきた。

さー、そろそろ儀式が再開するわよ、と誘われるままに村の広場へ。四方を民家に囲まれ、50メートルプールがちょうど入りそうな、けっして大きいとは言えない空間を、数百人の拡大村民と、いくらかの部外者が所狭しと取り囲んでいる。一部の観衆は民家の屋根の上から広場を見下ろしている。ぼくもお昼をお呼ばれした御家族がキープしているという屋根の上のパイプ椅子に座って儀式を観る。

広場の中心では、数十人の男性合唱+太鼓隊と民族衣装をまとった男女8人のダンサーが歌と踊りを始めていた。声明のような音楽。日本仏教のお経を倍速にしたようなドラムに合わせて、お経を読んでいるようにも聴こえる。短いフレーズを繰り返している風でもないので、長ーい歌詞を皆覚えているのかなと感心した。村の成人男子数十人が一緒に歌う力強い響きに圧倒され、自分たちの伝統を守っていこうというホピ族の誇り高いプライドを観るようで、目頭が熱くなる瞬間があった。

儀式の途中、ふと後ろ上方を見上げると、日本人とおぼしき3人組が一段高い民家の屋根の縁に座って足をぶらぶらさせながら儀式を観ていることに気づいた。話かけてみるとやはりそうで、なんとそのうちのお二人は、ご夫妻でオライビ村からほど遠くない別のホピの村に17年も住んでいらっしゃるという。もうひとりはご夫妻の客人だった。別れ際に、よかったらこれから我が家に来て泊まって行きませんかと誘っていただいた。はげしく心を揺さぶられたが、初対面でそこまでご好意に甘えてもと思い、お断りした。また別の機会に遊びに来てくださいねとご親切に言っていただいてうれしかった。

(ご主人がお好きだという)清酒「男山」の一升瓶を持って近いうちにお伺いしようと、後ろ髪をひかれる思いで、村を後にした。


備考:
ホピの村々では、写真撮影は一切禁止されている。ホピの人たちの気持ちは分かるが、ぼくは写真が撮りたいのに撮れなくて欲求不満。残念だ。

ボンボヤージ トーマス一家
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トーマス一家のパパ、ジェレミーが念願だった上海での仕事をゲットした。家族全員で早ければこの9月に渡中することに。ジェレミーは一足早く、先週単身で旅立った。奥さんのエイミーも、滞在中にアジアのいろんな場所を訪ねてみたいとわくわくしている。子供たちも中国に行くことに前向きだ。

出発前に、家族のポートレート写真を撮ることに。これがぼくができる、一家へのお祝い。

自前のスピードライト一式と、レンタルしたライトメーターや背景用の巨大な黒い布地をバックに詰めて、気合いを入れて撮影場所となる自宅に訪問したら、一家全員、基本黒の服できめて待ってくれていた。うっ、黒に黒。「暗闇のカラス」のような写真になるのではないかと一瞬あせった。それでも、出来上がった写真を額に入れて持っていったら、喜んでもらえてほっとした。

勤めることになった会社の本社は中西部にあるので、何年後かにアメリカに帰ってきても、フェニックスに戻ってくることはないだろう。

いつも新しい機会を求めて、転職・引越しをいとわないジェレミーと一家。

2006年に知り合ってから、もう10年近くになる。「自分の家以外で一番時間を過ごしたのがトーマス一家のおうちじゃないの?」と妻に言われるほど、土曜の夜になると、おじゃましていた。ハロウィーンやサンクスギビングには必ず「よかったら我が家にこないか」と誘ってくれた。

メーガンとジョナも成長した。初めて知り合った頃はこんなに小さかったのに。

夏の終わり(はもうすぐかな)
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アリゾナの多くの学校では新学年が始まった。
家を一歩出ると、夏の終わりを想わせる元気な雲が立ち上がっていた。
まだまだ湿気を伴う暑さ。
でも、あとひと月もすれば、スイッチをパチンと切り替えるように、ぐっと心地良い季節が訪れる。

こんな旅がしたい
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旅の妄想ついでに、自分にとっての旅について考えてみる。

日常の精神状態や時間感覚から離れて、別のモードに入るところに旅の醍醐味がある。その醍醐味は、ちょっとした小旅行でも味わうことができるし、逆に、地球の正反対まで行っても感じられない時がある。

大学に入った最初の夏休み、愛知県常滑出身の同級生、吉川君と彼の下宿で駄べっているうちに、(仙台から)平泉まで歩いて行けるかなという話になった。中尊寺で有名な町だ。仙台から100キロだね、と地図をみて確認する。

つつましい額のお金が財布に入っていることを確認して、いきおい出発することになった。簡単な地図だけが頼りだ。午後遅い時間に市バスに乗って、終点の泉で降りる。歩き始めたら、すぐに日が暮れてきた。そこから夜通し星空の下、蝉や蛙の鳴き声が賑やかな田舎道をふたりで歩いた。

途中、心配して止まってくれた軽トラックにのせてもらったりしながら、明け方には、もうちょっとで一関という所までたどり着くことができたが、足が痛くなってそれ以上歩けなくなってしまった。ちょうど通りかかった河川敷の草むらに倒れこむように2時間程も寝ただろうか。草むらの柔らかい感触と、昇ってくる夏の朝日の暖かさが心地よかった。

最寄りの鉄道駅まで足を引きずりながらなんとか歩き、電車に乗って、お昼前に平泉までたどり着いた。

ぼくが望んでいる旅のかたちは、いつになっても、この一夜の徒歩旅行からあまり変わっていないのかもしれない。

写真は一関郊外、北上川をのぞむ高台にて(2011)。

もう一枚の写真は、タイ東北部、ノンカイからチェンカンまでメコン川沿いを自転車旅行した際のもの(1990)。左にラオス、右にタイを望んで、チェンカンのゲストハウスで同宿した旅行者たちと記念撮影。

(つづく)

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