ハーマンはグルーブの本質について考えている
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この20年、アフリカ・南米を旅し、自国ドイツではプロのパーカッショニストとして活躍しながら、ハーマン・カタン(Herman Kathan)はグルーブの本質について考え続けている。

グルーブとは何かと説明しようとすると、ぴたっとくる日本語がでてこない。溝のような、ある種心地よいスイートスポットにすっぽりはまって、波のうねりのようにゆらゆらとすすんでいく感じかな。

ハーマンによれば、グルーブは正確なビートからくるのではなく、微妙なゆらぎからくると。なぜある種のゆらぎを心地よいと感じるのか。それは胎児の時に聴いていた母の心音を深いところで思い起こすからではないかと。たしかに心臓の鼓動は微妙にゆらいでいるかもしれない。

西アフリカ・南米の伝統的なパーカッション音楽が創りだすグルーブには、このゆらぎと、どこか共通するものがあるのではないかと。そして、ある種のグルーブがこころの深いところにに特別な働きかけをするのではないかと、ハーマンは考えている。

ハーマンはまた、こんな面白いことも言っていた。普段はゆらいでいる心臓の鼓動だが、死ぬ間際になると、ゆらぎが失われメトロノームのように鼓動する瞬間があるという。そして、人はそのような正確な鼓動を心地よいと感じないのだそうだ。自分で体感したことがないので、にわかにはわからないが、ありえないこともないなと思った。

今年3月にアリゾナで開かれた彼のワークショップ "7-Days of Groove" から。

(第26回)

【追記】

ウィキペディアによれば、

世界中の新たな才能、アーティストの卵たちにエールを送る
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前回登場してもらった、アントン・イーゴ。彼が語る大好きなくだりがある。評論家としての自らへの戒めであると同時に、世界中の新たな才能、アーティストの卵たちへのエールのようにも聞こえる。

吹き替えを勤める名優ピーター・オトゥールの、人生の夕暮れを想わせるような声と相まって味わい深い。

”Not everyone can become a great artist.  But a great artist can come from anywhere."

だれもが偉大なアーティストになれるわけではないけど、偉大なアーティストはどんなところからでも現れるものだよ。

(第25回)

パースペクティブ〜優れたドラマの持つ力
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昨日ブログに書きながら考えていた、優れたドラマの持つ力について、映画ラタトゥイユ(2007)に登場する料理評論家アントン・イーゴが端的に表現していた。

"Do you know what I am craving?.... A little perspective..... That's it!  I'd like some fresh, clear, well-seasoned perspective."

新鮮であると同時に経験豊かな洞察に満ちたパースペクティブ(視点)、もっと風呂敷を広げれば新たな世界の見方を与えてくれることだと、彼は言っている。

そうですよね。

アントン・イーゴさん。ご自身の口からどうぞ。

料理について語っていらっしゃいますが、ドラマを含む創作活動すべてにおいて、すべからく当てはまる。そう広く理解してもいいですか。

(第24回)

【追記】

perspective 【名】

  1. 〔絵画などの〕遠近法、透視図法
  2. 〔遠くの物の〕遠近感、奥行き
  3.  景色、眺め
  4. 〔物事に対する〕見方、態度、視点
  5. 〔状況や事実の〕全体像、大局観
  6. 〔物事を〕評価する能力、見通せる力

(出典:英辞郎)

【追記2】
後日、日本語吹き替え版を観る機会があった。「パースペクティブ」が「(主人公リングイニの)将来性」と訳されていてびっくり。う〜ん、それでは全然意味が違ってくる。もしかして、perspectiveをprospectiveと間違えて訳したのではないかという疑念すら頭に浮かぶ。はっきりしたことはわからないけど、やっぱり違うような気がするなぁ。

辛い時間は永遠に続かず、幸せな時間は淡く過ぎ去る〜TVドラマシリーズ Six Feet Under (2001-2005)
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辛い時間は永遠に続かないし、家族や愛する人と過ごした幸せな時間は淡く過ぎ去って戻ってこない・・

死は気づかないだけで日常に溢れているし、次は自分の番かもしれないよ・・

そう思えば、今生きているすべての一瞬が愛おしく貴重なものに感じられるんじゃないかな・・

そう語りかけているような気がする。

2001年から5年続いた「Six Feet Under」というテレビドラマシリーズが、Amazon Prime Instant Videoで無料で見られるようになっているのを見つけ、10年ぶりに観直している。

ロサンジェルスで小さな葬儀社を営む家族と、その家族に関わる様々な人たちの人間模様を描いた現代の物語。死とどう向かい合うか、ゲイの社会的認知、精神障害の息子を抱える家族、高齢者の性愛といった、これまで公の場で語ることがはばかれることの多かったテーマも扱っている。

いきなり第1話で死んでしまった父や、毎回登場する新手の死人たちが、唐突に主人公の前に現れて話しかけたり、主人公たちの妄想がフラッシュバックのように挿入され、生と死、現実と非現実のあいだをゆらぎながらストーリーが展開する。

ちなみに、タイトルのSix Feet Underとは、棺桶を埋葬する際の深さだと聞いた。

ゲイのことひとつ取ってみても、初めてこのドラマを観たときは、ゲイのキスシーンに生理的な嫌悪感を覚えたが、今回観直してみると、そうでもない。映像が脳内をするっとスルーしている自分に気づく。

デイビッドとキースというふたりの人間が互いを愛するがゆえに葛藤する姿が、まっすぐに、時に切なく、時間をかけて丁寧に描かれていて、そんなふたりへの共感が、ふたりがともに男性であるということより重要に思うようになったという、心境の変化かもしれない。

このようなドラマがきっかけとなって、頭の中の価値観が少しづつ変わっていく。毎日の生活もどこか違って、新鮮に見えてくる。優れたドラマにはそんな力があるような気がする。

(第23回)

 

【追記】

  • six feet under
    埋葬されて、死去して◆【語源】死体を埋めるための穴の深さが6フィートということから
    ・Although you were cured, sadly your brother was already six feet under. : あなたは治りましたが、残念ながら弟さんは亡くなりました。

(出典:英辞郎)

今の今、はじめて気づいたんだけど「辛い」と「幸せ」というふたつの漢字、そっくりだ。

タイトル写真の出典:www.tv-calling.com

こころに残るキスシーン
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アリゾナで観てます。MXテレビの5時に夢中。

水曜の美保純さんが、キスシーンが印象的な映画を3作品紹介していた。彼女のおすすめは、

  • きみに読む物語(2004)
  • ビフォア・サンセット(2004)
  • カイロ・タイム〜異邦人〜(2009)

さすが美保さん。Kissシーンは体の開きを見ろ!!だって。演じている女優が男優に好意を持っているのか嫌いなのか、キスをする時の女優の体の開きでわかるそうです。

さて、ぼくにとってキスシーンが印象的な映画ってなにがあったかな。そういう視点で記憶していないので、すぐには思い浮かばない。DVDの棚を眺めたり、Youtubeでキスシーンを検索したりしてみる。あっ、あったあった、こんなキスシーンあったなと記憶が蘇ってきた。恐るべしYoutube。何でも出てくるわ。

というわけで、美保さんにならって3つ、ではなく5つほど。

ブレードランナー(1982)

恋におちたシェイクスピア(1998)

ラタトゥイユ(2007)

おくりびと(2008)

ドライヴ(2011)

(第22回)

科学的にも証明された、日記を書き続ける実用的なメリット・・タイムリーな記事
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科学的にも証明された、日記を書き続ける実用的なメリット

コピペで失礼します。タイトルをクリックすると記事に飛びます。この記事によると:

  • 書くことは精神的な健康をもたらす
  • クリエイティビティを発揮できる
  • 実用的なメリットも・・過去の過ちや成功をリマインドしてくれるって

ブログも日記のバリエーションであり、プライバシーを犠牲にするデメリットのかわりに、自分のストーリーを広くシェアできるメリットがあると。

(第21回)

Drumming is like sex
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アフリカンドラム仲間でもあるバーントから気の利いたことばを聞いた。

"Drumming is like sex."

そのココロは、「ひとりもいいけど、他の人と一緒にプレイすると、もっといい」、だって。

なるほどね。

写真は、ぼくに初めてアフリカンドラムの楽しさを教えてくれた砂川正和さんと、奥様でもあるダンサーの柳田知子さんによるアフリカンダンス・ワークショップ。1994年、穂高養生園にて。

(第20回)

年輪を加えた男の面構えに魅せられる
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人は長年生きてくると、その顔、面構えに人となりが凝縮して現れてくるとよくいわれる。

今日偶然Youtubeのビデオでみたふたりの面構えに思わず魅せられて、そのことを考えさせられた。サッカー元日本代表監督のイビチャ・オシム(Ivica Osim)と、片岡鶴太郎。ふたりとも、まずその眼力に引き込まれる。そして年をとっても引き締まった頬のライン。

やや斜に構えたユーモアのセンスと(経験に裏打ちされたゆるぎない)自信がにじみでてくるような表情で、オシムはインタビューに応える。

問)香川への不安について・・・

”ドルトムントでは最高のプレイをしていたが、大きな何かが失われてしまった。だが彼は大丈夫だ。復活したらさらに輝きを増すはずだ。天国に行く経験もなかなかできないが、地獄から帰ってくるのも貴重な経験だ”

問)ワールドカップまであと8ヶ月。日本代表のやるべきこととは・・・

”アウェーでの試合は良い経験になるだろう。ポイントは勝つ習慣を身につけることだ。自信は、勝利からしか得られない”

問)あなたにとってサッカーとは何ですか・・・

”時間泥棒だね。人生のすべてをサッカーに使ってしまったよ”

(第19回)

わたしたちコスプレ大好きです〜フェニックス・コミコン
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初めてフェニックス・コミコン(Phoenix Comicon)のことを知ったのは3年前。週末の昼下がり、散髪を終えダウンタウンをとろとろ運転していると、フェニックス・コンベンションセンターの近くでアニメから飛び出したような一群に遭遇し、びっくりした。

翌日、興味半分で見に行ってみると、来場者の多くが、はんぱなくコスチュームに身をつつみ、紫やピンクの髪にしてコンベンションセンターを埋め尽くしている。日本ではコスプレが流行っていることは知っていたが、アメリカでも大ブームになっているらしい。頭がくらくらしてきた。

地下メイン会場に降りるエスカレーターの横で、ダンボールで作った公衆電話ボックスに入って胡座をかいている男装の女の子がいたので、横にいたお父さんとおぼしき男性に話を聞いてみると、やはりそうで、娘さんが扮しているのはドクター・フーだと教えてくれた。ふたり娘のたっての願いで、わざわざコロラド州デンバーから家族でやって来たという。おとうさんもたいへん。

2002年、とあるホテルの一室でじみ〜なイベントとして始まったものが、今では、アリゾナで開催される催しとしては最大級にまで成長。今年は6月5ー8日の4日間で7万人もの来場が見込まれているとニュースに書いてあった。へぇ〜。

今日は最終日。時間があったので、ちょっと行ってみた。たしかにすごい人出だ。3年前、デンバーのドクター・フーが陣取っていたあたりは、芋の子を洗うような込み具合で、ダンボールの公衆電話ボックスなど一瞬にしてぐちゃぐちゃにされてしまいそう。3年前はそれなりにのどかだったということか。

3年前の人気フィギュア、ドクター・フーに扮している人には出会わなかった。やっぱり流行りすたりがあるのかな。こうして写真で見直してみると、みんながみんなコスチュームに身をつつんでいるわけではない、ということに気づく。気合の入った人はもちろんだが、帽子程度で軽いコスプレをしている人や、だらっと普段着できている人など様々だ。

それにしても、会場に溢れるこの熱気はなんなのだ。

なぜかチェロ持参。やはりコスプレの一種?

(第18回)

【追記1】

ドクター・フー(Dr. Who)は1963年から、イギリスBBCで放映されている長寿SFTVドラマシリーズ。

お恥ずかしい。公衆電話ボックスだとすっかり思いこんでいたのは、実は60年代のポリスボックスを模したものだそうだ。ドクター・フーはこれに乗ってタイムトラベルをする。

また、ドクター・フー少女が手に持っているのは、ソニックスクリュードライバーというアイテムで、物体の調査や破壊、あらゆる扉の開閉ができる。また、機械の遠隔操作やお金を引き出すなどさまざまな作業が行うことが可能である。(ウィキペディアに感謝)

【追記2】

ブログを書きながら、コミコン=コスプレ・パーティーのようなものとして捉えている自分に若干ひっかかるものがあった。改めてウィキペディアを見ると、コミコンは漫画などの大衆文化に関するコンベンションとある。コスプレはコミコンの重要な一面であることには違いはないと思うけど、それだけではないわけで、コミコンの性格をやや歪曲して捉えていたようで反省する。

コミコン・インターナショナルという非営利団体がサンディエゴにあって、どうもコンベンションとしてのコミコンの発祥はここのようだ。当初はコミックやSF・ファンタジー映画などが中心だったが、年を追うごとに文化の幅を広げ、1日に約12万5千人が来場するコンベンションに成長している、とウィキに記載されている。ということは、フェニックス・コミコンなどまだかわいいもんだな。

日本語でググってみたら、サンディエゴの他、ニューヨークや、はたまたタイのバンコクや中東はドバイにまでコミコンは広がっているらしい。日本で同様のイベントはコミックマーケット84というらしい。とにかく、コミコン&コスプレの波は世界に広がっている。

ロブとエリザベスのツーショット
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ロブとエリザベス。昨年、世界的に有名なスペインはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を約1ヶ月かけて歩ききった。今年の秋は結婚5周年を記念して、イタリアはアッシジからローマ・バチカンまでの巡礼路を歩く計画をねってるんだ、と話してくれた。土曜の昼下がり、ベジタリアンレストランGreenにて。

ロブは画家。エリザベスはフリーランスのインテリアデザイナー。現在は友人のお宅に居候しながら、お互いに向い合って、普段は質素に、そして上手に暮らしているように見える。

(第17回)

自身のこととして・・・
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旅客船セウォル号沈没事故で大統領府の圧力を受け、政府批判を控えるよう現場に指示した疑惑で韓国KBS社長解任、というニュースが目に入った。先日は、タイで憲法裁判所の判断でインタック首相が失職するというニュースがあったことを思い出した。

どのような事情があって、このような「解任」や「失職」に至ったのかわからない状況で、とんちんかんな反応かもしれないが、それでも、あえて第一印象だけでいえば、すごい!と思った。日本を振り返って、これらふたつのニュースに見るような、権力の暴走を相互にチェックすることが、昨今の日本では起こりえるのだろうかと思ったからだ。

言い換えれば、日本では司法やマスコミが政府権力から独立しているのか。また、KBS社長を失職に追い込む発端となったセ号事故の被害者家族による大統領府前での座り込みといったような行動を、普通の人たちがリスクを取って立ち上がることができるのか。

国のシステムや「大衆」というひとごとではなく、自身のこととして考えると・・・これまで政治や社会参加について、極めて消極的だった自分に向き合わざるを得なくなる。自分なりにできることを、とあらためて考えさせられる。

(第16回)

ヒトラー最期の12日間〜カールツァイスの拉致された80人の技術者
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週末はバーントとローリンのお宅に我が愛犬2頭を連れてよくおじゃまする。先週末は、「よかったら、映画ヒトラー最期の12日間、観ていかない?」と誘ってくれた。バーントはドイツ人で、ぼくと同じころにドイツからアメリカに移ってきた。ローリンと結婚して今は米国市民権を取得している。

バーントのお父さんは戦時中ヒトラー青少年団・ヒトラーユーゲントに参加していた過去がありながらも(とさらった言った)、戦後生まれの彼にとっては、長年特別に関心のあるテーマではなかったとのこと。先日観た新作映画 The Monuments Men(第二次大戦中ナチスに盗まれた美術品を奪還する話)に触発されて、見たくなったのだという。映画「ヒトラー最期の12日間」は2004年の公開。

ぼくもDVDがでた直後に一度観たことがあって、その時は、期待したわりに退屈だったなぁと思ったけど、今回観直してみると、ストーリーに引き込まれて2時間半の長さを感じさせなかった。ローリンは途中でいびきをかいて脱落。映画が終わったら「超、退屈だったわ」とばっさり。

映画の感想はまた別の機会に触れるとして、むしろ、映画を観終わってから雑談をした際に、バーントから聞いた興味深い話を書き留めておきたい。バーントは物理学の博士号を取得した後、カールツァイスというドイツの光学メーカーに就職して今日まで働いている。カールツァイスといえばカメラ好きなら誰でも知っているカメラレンズメーカーだが、19世紀半ばに顕微鏡メーカーとしてイェーナで発足し、その後カメラや望遠鏡などに手を広げ、軍事的にも重要なテクノロジー企業として発展してきた。

映画に描かれていた第二次世界大戦のベルリン陥落が1945年4月末。それから2ヶ月もたたない6月24日、当時ソビエトの占領下に置かれていたイェーナの街に、アメリカの諜報部が闇夜に紛れてトラックで潜入し、カールツァイスの技術者とその家族80人を拉致して、西側の占領下にあったオーバーコッヘンという町に連行して定住させたのだという。バーントの話しぶりでは、ソビエト占領下からの脱出を喜んで受け入れた人と、意に反して無理やり拉致された人と両方いたみたいだ。東側への頭脳流出を阻止するのが目的だったとのことで、冷戦終結後しばらくして再統合されるまでの何十年も、東西ふたつの会社に分裂していたそうだ。

自宅に帰ってウィキペディアを調べたら、たしかにその話が出てるわ(80人ではなく125人となっていたが)。映画や本で知る歴史はどこかひとごとだ。それが、たとえ些細なつながりであっても、自分の知っている血の通った人間に関係していると知ると、その歴史のエピソードと自分の距離感が変わって、違った重みを持って感じられる。

(第15回)

【追記】
ヒトラー青少年団・ヒトラーユーゲントは、国家唯一の青少年団体として、ナチス時代には10歳から18歳の青少年全員の加入が義務づけられていたそうだ。バーントのお父さんが特別ナチスに心酔していたというわけではないと。

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