留守中リリィとノラの世話をしてくれたアルバイト代$80と、おみやげの消せるペンをベスに渡す
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先週の木金、たいへんなストームがあったらしい。雨はこんな方向で降ったのよと、大きな身振りで、ベスは両手を左右に振ってみせた。横殴りの雨だったんだ。通りの向かいのパームツリーの上に鳩が巣をつくっている。孵化した卵のからがぱっくりとふたつ、木の根元に転がっている。

湿度が高く暑い。フェニックスのモンスーンがやってきた。

映画評論家の町山智浩氏が紹介していたテレビドラマシリーズ、The Americansを観て家にこもっている。町山氏は「基本的にホームドラマ」と言っていた。しかし、パパとママはソビエトKGBのスパイだったのです!

帰宅直後に掃除機でノラとリリィの毛を吸い取ると、取れるわ取れるわ、一回で掃除機のゴミ捕獲容器一杯になってぎょっとした。

フェニックスに帰って3日。夕方5−7時ごろになると、時差による強烈な眠気が襲う。

(第38回)

♫ドッグパークに行くんじゃないかな♫
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「公園デビュー」という流行語があったけれど、リリィとノラを連れて初めてドッグパークに出かけた時の僕の気分はまさに公園デビューするママだった。

車を止めてからが大変だ。しつけの悪いリリィとノラにあらぬ方向にぐいぐいとひっぱられながら、ようやく入口まで辿りつく。フェンスのドアを開け、入って閉めると、もう一つドアが。そのドアを開けると、そこがドッグパークだった。ナイターの球場のように夜間照明が明るい。

サッカーコート1面でも取れそうな広々としたドッグパークの中では、犬の飼い主たちがたむろして雑談をしていて、そのまわりで種々雑多な犬たちが群れになって走り回っている。とりあえず、リリィとノラの綱をはずしてみる。ふたりともぼくの足元にぴったり張り付いて離れない。恐る恐る人口・犬口が集中しているあたりに近寄ってみるものの、なかなか自分から声をかけることがためらわれた。獰猛犬として知られるピットブルの雑種であるリリィが、他の犬や飼い主に吠えたり噛み付いたりしないか、はらはらしたが、杞憂におわってほっとした。

行き慣れてくると、リリィもノラもそれなりに楽しいようだ。他の犬たちと一緒に遊べるようになった。水飲み場もあるし、犬のうんちを拾って捨てられるようにビニール袋と大きなドラム缶が用意されている。毎晩10時まで使えるようになっていて無料。ほんとうにありがたい。飼い主たちも、たむろして雑談するだけでなく、周辺のベンチに座って本を読んでいたり、犬とボールで遊んでいたり、さまざまだ。

ドッグパークに向かう車中のリリィとノラの高ぶる予感を歌にしてみた。

♫ドッグパークに行くんじゃないかな♫

ドッグパークに行くんじゃ〜ないかなぁ (合いの手:じゃないかな

ドッグパークに行くんじゃないかなぁ (合いの手:じゃないかな

いつもとちがう道だけど 僕にはわかるんだ

ドッグパークに行くんじゃないかなぁ (合いの手:じゃないかな

ドッグパークに行くんじゃないかなぁ (合いの手:じゃないかな

パパさん パパさん パパさん そうでしょっ

そうに決まってる

メロディーを紹介できないのが残念だ。

公園デビューからはや9年。最近のリリィとノラはメタボぎみで、時々他の犬たちの後ろを重そうに走ってみるものの、だいたいはぼくにへばりついている。そんなふたりを引き連れてフェンス沿いに何周か小走りで廻ることが多い。

(第37回)

そうして野良はノラになった
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ノラが我が家に来た経緯を話すと、みんな「あなたが犬を選んだんじゃなくて、犬があなたを選んだよの」といってくれる。なんだかまんざらでもない。

我が家に来るまで、ノラは野良だった。

最初は、我が家の前庭に毎日のように現れ、そのうち、まだ子犬だったリリィとゲート越しに仲良さそうにするようになった。そんなある日の夕暮れ時、リリィと散歩から帰ってくると、玄関のドアがバーンと開いている。ややっ、泥棒に入られたか!という思いがよぎる。そーっと近づいていって、恐る恐る玄関先から中をのぞくと、例の野良犬がお行儀よく座って、こっちをすずしそうに見ていた。

日中ひとりきりでさびしそうなリリィの遊び相手になってくれるかなとおもって、一晩泊めてみることに。そしてそのまま我が家の一員になり、野良はノラになった。

* * *

その後しばらくすると、ご近所さんから断片的に野良時代のノラの話が聞こえてきた。曰く「路地で出産して子育てしてたら、保健所が来て赤ちゃんを連れ去られ、その後しばらく、居なくなった赤ちゃんを探して路地を彷徨っていた」。曰く「前足の先っぽが白いから、ソックスって名づけてたの」とか。

我が家にきても長い間、野良の性が抜けないのか、何事に対しても臆病でびくびくしていると思ったら、何かのきっかけでスイッチが切り替わると突如大胆な行動をとるノラ。目と目をあわせることができなくて、甘えることがへたなノラ。そのうち、雪がゆっくりと溶けるように、時間をかけてだいぶココロを開いてくれるようになった。今でもぼくにべたべたされるのが嫌いで、尻尾がぼくの足に軽く触れるか触れないくらいの微妙な距離感で、大きなお尻をこっちにむけて、むんと腹ばいになってくつろいでいる。

タイトル写真は、我が家に来たばかりの頃、体全体をソファーの下に隠して寝ているノラ(2004)

ノラ(2007)

ノラ(2010)

ノラ(2011)

ノラ(2013)

ノラ(2014)

(第36回)

アーティストには住みづらい街フェニックス
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直径100キロを優に超えてだらだらと広がるフェニックス都市圏をようやく脱出すると、そこには人の住まない広大な空間が広がっている。

ツーソンやフラッグスタッフなどいくつかの町を除くと、アリゾナ州には経済的に自立した昔ながらの小さなコミュニティーがすべて亡くなってしまったかのようだ。そんな中でフェニックス都市圏だけが巨大なマグネットのように人とマネーを吸引しつづけ、どんどん膨張している。

アリゾナ州第2の都市ツーソンですら、フェニックスの影では元気がないように見える。リーマンショックが引き金となった不景気がこのトレンドの背景にあると思う。

かつてツーソンで知り合ったダンサーやミュージシャンが、この数年少しづつフェニックスに引越してきた。ぼくのジャンベの先生マーティンも、コンゴからの移民してきたプロダンサーのマビバも、昨日登場したアントンも。

しかし、フェニックスはそんなアーティストたちにやさしい街ではない。

較べてツーソンはリベラルな大学町という趣がある。土曜の夜の4th Avenue(概して地元経営の小さなショップやレストランが軒を並べている通り)にはライブ音楽が溢れ、開放的な雰囲気が漂う。どんな大きな街にもアーティストやヒッピーっぽい人たちがが生息する地区があると思うのだが、フェニックスには、そんな、ちょっと怪しげで息をほっと抜けるような場所がほとんど見当たらない。そして場所の問題以上に、アーティストを支援するコミュニティーが弱いように思われる。

そして、マーティンはツーソンに戻り、マビバはカリフォルニアへ、アントンはメキシコに引っ越していった。

そんなフェニックスにも好ましい変化は見て取れる。ぼくがフェニックスに引越ししてきた頃のダウンタウンは、中心のオフィスビル街をのぞくと極めて荒んでいた。今ではアートギャラリーやレストラン、カフェなどができ、毎水土のファーマーズマーケットも始まり、見違えるようになった。10年ほど前に細々と始まった毎月第一金曜日夕方のアートイベントも、警官が交通整理にかりだされるほどの人出だ。ダウンタウンに限らず、様々なコミュニティーイベントも、不景気を乗り越えてだんだんとまた多くなっているように感じる。

こういう変化の積み重ねで、もうちょっとアーティストにも住みやすい街になってくれたらいいなと思う。

タイトル写真はアントン(右)。

(第35回)

月曜の夜からR&B(リズム・アンド・ブルース)で盛り上がってもいいですか
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フェニックスの夜は早い。平日は9時を過ぎると、開いているレストランを見つけることすら難しくなる。フェニックスのナイトライフはサハラ砂漠並に不毛だと常々思っていた。

とある月曜の夜、新天地を求めてメキシコシティーに引っ越すことを決意したダンサー、アントンの送別会ということで近所のライブカフェに行くと、地元のミュージシャンたちが入れ替わり立ち代わり、R&Bのジャムセッションで盛り上がっていた。

12時過ぎにその店があがると、もう一軒いこうとアントンがいう。流れたライブハウスもR&Bバンド2組交代制で賑わっている。近所のイベントで知った地元ミュージシャン、Glenville Slimもいた。

月曜の夜から盛り上がっているナイトライフがフェニックスにも存在していることを、在フェニックス10余年にして初めて知った驚き。しかも、はしごした2軒とも普段通っているジムの目と鼻の先にあって頻繁に車で通りすぎるのに、その存在すら目に入っていなかった。

R&Bの歴史は長いとはいえ、今日的にはそんなにメジャーなジャンルではないように思うんだけど、あぁ、やっぱり本場アメリカ、R&Bの人気は根強いんだと再確認した。

写真は、有機野菜を売りながら小さなイベントスペースを提供している近所のお店のイベントで演奏するGlenville Slimと仲間たち。

(第34回)

これからダウはもっと上がるよ、しかもこれまでより早いペースで、とピーターは確信に満ちた口調で言った
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平日6時前限定の無料映画チケットが2枚あるんだけど行かない?、と大学院で同級生だったピーターが誘ってくれた。

トム・クルーズ主演の最新作、Edge of Tomorrowを観終わって映画館を出てきてもまだ日が高い。

その足で、ピーターが最近買ったコンドミニアムに初めて訪ねた。

まだ家具もそんなにないんだけど、と言いながら、うれしそうなピーター。

彼は投資アドバイザーをしている。

これからダウはもっと上がるよ、しかもこれまでより早いペースで、と彼は確信に満ちた口調で言った。(注:ダウは、米株式市場の代表的株価指数。日本の日経平均のようなもの)

1−2年の内には多分クラッシュするけど(あっそうなの、やっぱり)、今はまだその兆候はないと。短期的に警戒するとすれば、ドル指数の動向かな。しかし、新興国からマネーが還流して米株式市場に流れこんでいることやら、テクニカル分析で見ても当面基調は上げだと思うよと。

それから、長期的には農地に投資するのが有望だと思っているんだ、と話がつきない。

いつのまにか真っ暗になっていた新居のオフィスで、灯りもつけずに(というか灯りがまだなかった)、時間を忘れて熱く話してくれた。

(第33回)

日本人映画評論家の解説で聴く、大好きなSF映画
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アップルが初めてポッドキャストを始めた頃(何年前だったっけ?)、カリフォルニア在住の映画評論家町山智浩さんが、いかにも自宅で録音してます!って感じる、手作り感満載のポッドキャスティングをアップしていて、楽しみに聴いていた。

彼の解説を聴いて、SF映画トゥモロー・ワールド(Children of Men)のことを初めて知った。ストーリーの魅力だけでなく、映画づくりの視点からも製作者の「こだわり」や苦労について興味深く紹介されていた。

彼の解説を聴かなければ多分観ようと思わなかっただろう映画を、うんっ?観てみようかな、という気にさせてくれて、映画をより多面的に楽しむことができるような視点を提供してくれる映画評論の役割について、気づかせてくれた。(注:そっか、パースペクティブを与えてくれるって先日のブログに書いたことは、すぐれた評論にも当てはまるんだ。そのブログはこちら

思い立って、ぼくの大好きなSF映画について、日本人映画評論家の解説をYoutubeで検索してみる。子供の頃よく観た日曜映画劇場の淀川長治さん、月曜ロードショーの荻昌弘さんといったなつかしい顔が出てきた。近年は、いろいろな映画評論家がいるであろうに、そんな中で町山智浩さんの解説がたくさん出ている。何年も前に聴いたトゥモロー・ワールドの解説も。

強引に◯◯年代を代表する作品をひとつづつ選んでみた。

60年代

淀川長治氏の解説で聴く2001年宇宙の旅(1968)

スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)監督

70年代

淀川長治氏の解説で聴くエイリアン(1979)

リドリー・スコット(Ridley Scott)監督

80年代

荻昌弘氏の解説で聴くブレードランナー(1982)

リドリー・スコット(Ridley Scott)監督

90年代

町山智浩氏の解説で聴くマトリックス(1999)

ウォシャウスキー兄弟(Andy Wachowski & Lana Wachowski)監督

2000年代

町山智浩氏の解説で聴くトゥモロー・ワールド(Children of Men)(2006)

アルフォンソ・キュアロン(Alfonso Cuaron)監督

2010年代

町山智浩氏の解説で聴くインセプション(2010)

クリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)監督

(第32回)

【追記】

映画評論をするフォーマットによって言及できることも限られてくる。

尺を気にせず書きたいだけ書けるという点において、個人による情報発信は強い。

1年で365本ひたすら映画を観まくる日記という匿名ブログで、2001年宇宙の旅について映画制作の舞台裏が徹底解説されていた。

http://d.hatena.ne.jp/type-r/20130626

あなたはだあれ、アナサージ
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セカンドメサのギフトショップのご主人が紹介してくれた本は、先住民族アナサージ(Anasazi)に関するものだった。

グランドサークルを巡ると、いたるところでアナサージということばを耳にする。

アナサージとは、西暦500年頃からグランドサークル一帯に住みながら、西暦1300年頃、集落(プエブロ)を捨て、こつ然と姿を消した先住民族といわれている。今のホピやナバホなどの人たちとどのように血が繋がっているのか、よくわかっていないらしい。

残された集落の遺跡や壁画などから、失われた彼らの記憶を再構築しようと、様々な努力がなされているが、今でも多くの謎につつまれた人たち。

* * *

タイトル写真は、千年前としては画期的な集合住宅だったウパキ(Wupatki National Monument)。ひとつの集合住宅に何百人かが一緒に住んでいたらしい。

断崖絶壁の窪みにわざわざ集落をつくる〜メサ・ヴェルデ(Mesa Verde National Park)。アナサージ最大の集落群遺跡。

アナサージが残した壁画〜キャニオン・ディ・シェイ(Canyon de Chelly National Monument)。ギフトショップのご主人が、セカンドメサからハイキングでいけるような近場に、崖一面が壁画に覆われたすごい場所があるんだよ、と言っていたっけ。

(第31回)

グランドサークルの道しるべ
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ホピ族居留地のセカンドメサ(Second Mesa)という集落に、ホピ族の奥さんと、カンザス州出身の白人の旦那さんがふたりでやっているギフトショップがある。

"Don't Worry Be Hopi"という、(Don't Worry Be Happyのダジャレ)オリジナルTシャツを扱っている。「これがけっこう当たってねぇ」とご主人は自慢そうに紹介してくれた。

ご主人は、アメリカ南西部の大自然に魅せられ、長年、暇を見つけては車でいろいろな場所を回っているそうだ。まさに、グランドサークルの生き字引のような人かもしれない。

気さくな人で、グランドサークルのおすすめスポットを教えてあげるよ、というので、まずはお店で売っていた地図、Indian Country Guide Mapを一部購入し、その地図にご主人のお勧めを書きこんでもらうことに。

そして、これも読むといいよといって、一冊の本を紹介してくれた。タイトルは "In Search of the Old Ones - Exploring the Anasazi World of the Southwest"。これも購入。

この地図と本を道しるべに、いつかグランドサークルを再訪したい。

(第30回)

グランドサークルって何ですか?
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「ゴールデンウイークに、大学時代の友人とふたりでアリゾナに遊びに行こうと思っているんですけど。セドナとグランドサークルを訪ねたくて」、と大阪の恭子ちゃんが連絡してくれた。グランドサークル??、と一瞬頭が真っ白に。恭子ちゃんが説明してくれて初めて納得。お恥ずかしい。

ウィキペディアによると、グランドサークル(The Grand Circle)は、ユタ州とアリゾナ州の州境にあるパウエル湖という巨大な人造湖を中心に、半径230km の円を描いた時、その円(サークル)の中に含まれるエリアの呼称、とある。グランドキャニオンをはじめ、息をのむような景観の公園が数多く点在し。また、ネイティブアメリカン居留地や歴史的遺跡ともオーバーラップしている。昨今広く知られるようになったセドナも入っている。

恭子ちゃんとお友達は、初め、ツアーに参加するか、レンタカーでグランドサークルを廻るか迷っていた。ラスベガスもしくはセドナを起点にして、いくつか日本人向けのツアーがあるらしい。熟考の結果、自力でいこうということに。海外で運転するのは初めてとのことで、まさに大冒険。

フェニックスを起点に、時差ボケもものともせず、4泊5日での予定で元気に出発した。日除け防止のため、帽子、サングラス、マスク、マフラー、長袖のシャツと白手袋で完全防備して運転する姿は、それだけで警官に呼び止められそうなほど怪しげだった。

5日後、セドナ=モニュメントバレー=アンテロープキャニオン=ホースシューベント=グランドキャニオン(走行距離1400キロ)を走破し、事故もなく無事にフェニックスに帰ってきてくれて、おじさんはほっとしました。

出発前に、スカイハーバー空港で記念撮影。

(第29回)

ところで、職場で「グランドサークルって知ってる?」って何人かに聞いてみたらだれも知らなかったんですけど・・・?!

グランドサークル・マップの出典:

http://www.grandcircle.org/

これと決めた道具を使い込み、自分のものにする〜昔ながらの写真技術
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デジタル技術がフィルムを駆逐してしまった昨今の写真の世界のなか、昔ながらの技術にこだわる一握りの写真家がいて、そういう写真家の作品に時折遭遇することがある。

オランダの写真家、アレックス・ティマーマンズ(Alex Timmermans)の作品が紹介されていた。記事のタイトルに「Enchanting and Surreal」とあるように、魅惑的で奇妙な世界に、一瞬にして惹き込まれた。(元記事はこちら

彼がこだわるのは、写真湿板と呼ばれる、フィルムが登場する以前からの古い技術で、ガラスの表面に化学物質を塗布してそこに写真を感光する。ティマーマンズ氏のYoutubeチャネルに写真湿板の紹介があった(1:30)。あら不思議。

もうひとつ、準備から撮影の様子までを紹介した少し長めのビデオ(8:32)。

最新のデジタル写真技術と比べると、たった一枚の写真を撮るためにとてつもなく手間がかかる不自由な技術。それでも、ティマーマンズ氏は、デジタル写真には全く関心がないという。

創作活動を支える道具として、その固有の特徴を活かして彼独自の世界を描いている。試行錯誤しながら、きっと長い時間を費やして会得した技であって、もはや道具の優劣の問題ではなく、個人の創作活動において切っても切り離せないインスピレーションの源泉になっているのではないかと想った。

(第28回)

ハーマンのふたつの顔
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昨日登場してもらったハーマンのビデオクリップをふたつ紹介したい。

西アフリカ・マリンケ族が発祥といわれるジャンベ(Djembe)ドラムを演奏するハーマン。グランドマスター、ファムドゥ・コナテ(Famoudou Konate)と共演(3:30)。

生ごみを出すハーマン(1:03)(2003年、ツーソンにて)

(第27回)

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