こんな旅がしたい

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旅の妄想ついでに、自分にとっての旅について考えてみる。

日常の精神状態や時間感覚から離れて、別のモードに入るところに旅の醍醐味がある。その醍醐味は、ちょっとした小旅行でも味わうことができるし、逆に、地球の正反対まで行っても感じられない時がある。

大学に入った最初の夏休み、愛知県常滑出身の同級生、吉川君と彼の下宿で駄べっているうちに、(仙台から)平泉まで歩いて行けるかなという話になった。中尊寺で有名な町だ。仙台から100キロだね、と地図をみて確認する。

つつましい額のお金が財布に入っていることを確認して、いきおい出発することになった。簡単な地図だけが頼りだ。午後遅い時間に市バスに乗って、終点の泉で降りる。歩き始めたら、すぐに日が暮れてきた。そこから夜通し星空の下、蝉や蛙の鳴き声が賑やかな田舎道をふたりで歩いた。

途中、心配して止まってくれた軽トラックにのせてもらったりしながら、明け方には、もうちょっとで一関という所までたどり着くことができたが、足が痛くなってそれ以上歩けなくなってしまった。ちょうど通りかかった河川敷の草むらに倒れこむように2時間程も寝ただろうか。草むらの柔らかい感触と、昇ってくる夏の朝日の暖かさが心地よかった。

最寄りの鉄道駅まで足を引きずりながらなんとか歩き、電車に乗って、お昼前に平泉までたどり着いた。

ぼくが望んでいる旅のかたちは、いつになっても、この一夜の徒歩旅行からあまり変わっていないのかもしれない。

写真は一関郊外、北上川をのぞむ高台にて(2011)。

もう一枚の写真は、タイ東北部、ノンカイからチェンカンまでメコン川沿いを自転車旅行した際のもの(1990)。左にラオス、右にタイを望んで、チェンカンのゲストハウスで同宿した旅行者たちと記念撮影。

(つづく)

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