ヒトラー最期の12日間〜カールツァイスの拉致された80人の技術者

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週末はバーントとローリンのお宅に我が愛犬2頭を連れてよくおじゃまする。先週末は、「よかったら、映画ヒトラー最期の12日間、観ていかない?」と誘ってくれた。バーントはドイツ人で、ぼくと同じころにドイツからアメリカに移ってきた。ローリンと結婚して今は米国市民権を取得している。

バーントのお父さんは戦時中ヒトラー青少年団・ヒトラーユーゲントに参加していた過去がありながらも(とさらった言った)、戦後生まれの彼にとっては、長年特別に関心のあるテーマではなかったとのこと。先日観た新作映画 The Monuments Men(第二次大戦中ナチスに盗まれた美術品を奪還する話)に触発されて、見たくなったのだという。映画「ヒトラー最期の12日間」は2004年の公開。

ぼくもDVDがでた直後に一度観たことがあって、その時は、期待したわりに退屈だったなぁと思ったけど、今回観直してみると、ストーリーに引き込まれて2時間半の長さを感じさせなかった。ローリンは途中でいびきをかいて脱落。映画が終わったら「超、退屈だったわ」とばっさり。

映画の感想はまた別の機会に触れるとして、むしろ、映画を観終わってから雑談をした際に、バーントから聞いた興味深い話を書き留めておきたい。バーントは物理学の博士号を取得した後、カールツァイスというドイツの光学メーカーに就職して今日まで働いている。カールツァイスといえばカメラ好きなら誰でも知っているカメラレンズメーカーだが、19世紀半ばに顕微鏡メーカーとしてイェーナで発足し、その後カメラや望遠鏡などに手を広げ、軍事的にも重要なテクノロジー企業として発展してきた。

映画に描かれていた第二次世界大戦のベルリン陥落が1945年4月末。それから2ヶ月もたたない6月24日、当時ソビエトの占領下に置かれていたイェーナの街に、アメリカの諜報部が闇夜に紛れてトラックで潜入し、カールツァイスの技術者とその家族80人を拉致して、西側の占領下にあったオーバーコッヘンという町に連行して定住させたのだという。バーントの話しぶりでは、ソビエト占領下からの脱出を喜んで受け入れた人と、意に反して無理やり拉致された人と両方いたみたいだ。東側への頭脳流出を阻止するのが目的だったとのことで、冷戦終結後しばらくして再統合されるまでの何十年も、東西ふたつの会社に分裂していたそうだ。

自宅に帰ってウィキペディアを調べたら、たしかにその話が出てるわ(80人ではなく125人となっていたが)。映画や本で知る歴史はどこかひとごとだ。それが、たとえ些細なつながりであっても、自分の知っている血の通った人間に関係していると知ると、その歴史のエピソードと自分の距離感が変わって、違った重みを持って感じられる。

(第15回)

【追記】
ヒトラー青少年団・ヒトラーユーゲントは、国家唯一の青少年団体として、ナチス時代には10歳から18歳の青少年全員の加入が義務づけられていたそうだ。バーントのお父さんが特別ナチスに心酔していたというわけではないと。

*REVOLVER dino network 投稿 | 編集