第二次世界大戦において、米軍暗号無線通信の要として対日戦最前線で活躍した、ナバホ・コードトーカーの最後の生存者、チェスター・ネッツ(Chester Nez)さんが、今日ニューメキシコ州で亡くなったとラジオのニュースがいっていた。享年93歳。

ぼくがコードトーカーのことを知ったのは、モニュメントバレーを初めて訪れた時だ。コードトーカーたちのポートレイトがビジターセンターに展示されていたので順番に見ていると、それらの写真を撮ったのは、ナバホ族居留地に移住し、コードトーカーたちの信頼を得て「公式フォトグラファー」になった日本人カメラマンだと説明がでていてびっくり。コードトーカーの興味深い話と相まって、強く印象に残った。

後から来た白人に力づくで自分たちの土地を奪われたアメリカン・インディアンの歴史を思うと、選抜されたナバホ族の若者たちが、太平洋戦争にあたってアメリカの勝利に貢献することで、誇りと尊厳を再び勝ち得たナバホ・コードトーカーのエピソードには、複雑な思いを感じる。アメリカを「征服者たちの国」ではなく「自分たちの国」だと彼らには思えたのだろうか。

コードトーカーについてはウィキペディアに解説がでている。こちら

コードトーカーの公式フォトグラファーを勤めた日本人カメラマンのこともわかった。河野謙児さんという方だ。河野さんのことを紹介した記事が、アリゾナを拠点にする日本語月刊情報誌オアシスにでていた。こちら。同じくオアシスでもコートトーカーのいきさつについても書かれているので、そちらもリンク。この記事によれば、コードトーカーのことは長年軍の機密事項で、世に知られるようになったのは1968年に機密解除されてからのことだという。

【追記】

なぜナバホ族の人達がこのような任務に選ばれたかといえば、彼らのしゃべる言語が、他のいかなる言語からも著しく異なっていて、ナバホ族以外ではまったく知られていない言葉だったからだそうな。ナバホの言葉をもとに更にひとひねりすれば、無敵の暗号になると考えたフィリップ・ジョンストンという人がいた。宣教師の家族としてナバホ族居留地で幼少期を過ごし、いくらかナバホの言葉を理解できたらしい。

おまけ:言語はどのように発展してきたか ー How Language Evolve (4:02)

(第14回)

*REVOLVER dino network 投稿 | 編集