3ヶ月ぶりにジェレミー・エイミー一家を訪ねた。

娘のメーガンは、学校のお友達がお泊りにきていてはしゃいでいる。息子のジョナは2晩続けて近所のお友達の家にお泊りにいっていて留守。ともに始まったばかりの夏休みを満喫しているようだ。

エイミーは専業主婦をしながら、ジョナをこの3年ほどホームスクーリングしている。今どき珍しいシングルインカム・ファミリー。ジェレミーはかつての同僚。子供の養育にお金がかかるんだよ〜、とひいひいいいながら真面目な仕事ぶりのジェレミー。親として子どもたちそれぞれに合った、才能を伸ばせるものを探してあげようといつも心を配っている。

初めてジェレミー・エイミーと知り合ったころは、メーガンはまだ小学校に行き始めたばかりのおしゃまな女の子、ジョナは「昨日まで赤ちゃんしてました」と思うほど、ピンクのほっぺでお母さんにあまあましている小さな男の子だった。今やメーガンはフェンシングと演劇に取り組むティーンエイジャー、ジョナも人前でジョニー・ビー・グッドのギターソローを披露するほどに成長した。

ともに南部テネシー州で生まれ育ち、ジェレミーは小さいころは親の牧場の手伝いをしていたような生い立ち。エイミーはお父さんがテネシー大学のアメフト選手だったということもあり、フットボールを中心にすべてが回っているような家族に育つ。家族でバプティスト教会に通い、オバマ大統領がアメリカを社会主義国家にしようとしていると憂いている。汗を流して働くことで正当な報酬を得て、自立した生活を営むことが大切で、政府は個人生活への干渉を最小限にすべきだと。今も国を二分するような議論が続いている、政府が推し進める国民皆保険制度(通称オバマケア)には反対の立場。

エイミーの一言が面白いと思った。

『アメリカ南部にはふたつの宗教があるのーーひとつはバプティスト、もうひとつはフットボールよ』

政治や宗教といったセンシティブな話題でも、信条や意見が違っても相手を尊重してオープンに話ができる、ぼくにとっては貴重なアメリカの友人。昨晩も、お互いの近況を話したり、任天堂Wiiで遊んだりして、夜更けまでおじゃました。タイトル写真は、ジェレミーが作ってくれる特製カクテル。

もう一枚、一家のポートレート。エイミーのお父さん、ポッピーもいっしょ。

【追記】

キリスト教各宗派の違いがよくわからない。バプティスト(バプテスト)派とは何か。また、よく耳にする「キリスト教原理主義」との関係も気になったので調べてみた。どうも、ざっくりと以下の関係になっているようだ。

プロテスタント>キリスト教原理主義>=福音派>バプティスト

(注:A>Bとは、BはAに含まれるが、Aは必ずしもBではないという意味。A>=Bは、AとBはほぼ同義という意味で使ってます)

ただし、この関係はアメリカの場合で、日本のバプティスト教会はキリスト教原理主義の立場を取っていないらしい。

息子ブッシュ大統領時代の記憶と相まって、キリスト教原理主義→非寛容→時々危ないことをする、と連想してしまうが、もともとキリスト教原理主義とは以下のような信条を意味するらしい。

  • 聖書に書かれている事は、(比喩としてではなく文字通り)全て真実であると考える
  • 政治的には、聖書に書かれた内容を全てに対して当てはめて考えようとする

だから、

  • ダーウィンの進化論など、聖書の内容を否定するような「科学」は間違っていると考える
  • 同様に、キリスト教以外の宗教は、聖書の内容と一致しないので、すべて邪教として認めない(この傾向はキリスト教一般にあるように思われるが)
  • 堕胎や同性愛は聖書で否定的に描かれているので(どこにどう書かれているのかぼくは知らない)、現実社会でも、それはよくないことだと考える

言い換えれば、聖書を唯一のレンズ(もしくはものさし)にして世界を観ようということらしい。聖書をコーランに置き換えれば、イスラム教原理主義になる。

そのような世界観を自分が受け入れられるか否かということとは別に、現にアメリカ社会には、程度の差こそあれ、このような考え方をする人達が何割かはいるという現実を頭に留めておくことは、大切なのではないかと思う。それ以上に、このテーマに踏み込んでいくのは、宗教や信仰に寛容でゆるゆるな日本で育ち、ほんわかとした宗教観や信仰体験しか持たないぼくには、なかなか容易ではないことだと感じる。

(第11回)

*REVOLVER dino network 投稿 | 編集